クリスマスに纏わる話
世間はクリスマスで浮かれている。クリスマスなんて自分には関係ないよ~とか言いながら皆結構楽しんでいる。もっとも自分には本当に関係ないイベントだ、というかおよそイベントというものに私は関係がない。
行事というのは、人のバイオリズムを半ば強引にシンクロさせる手段の1つだと思う。盛り上がろう、休もう、感謝しよう、気持ちの整理をつけよう、体をチューニングしよう、等々。宗教に纏わるイベントなんか特にそれを感じる。それらを形式に過ぎないとか野暮だとか言うこともできるけれど、有象無象の定着せず消えていったイベント達に比べるとやはり何かがあるから残っているんだろう。長く生きている高齢な方々はイベント系を素直に受け入れる率が高い気がする(自分調べ)。
私みたいな反抗的で自意識過剰と思われる人間は、式やイベントみたいなものに一々喧嘩を売りがちだ。普通の人が気にもしないような領域を気にして意識や言語の遡上に乗せ、自分のバイオリズムは行事に頼らず自分で管理しようとする習性がある。しかしたかが個人のちっぽけな力でそんなことしなくても多くの人間が意識無意識問わず収集してきた叡知の結晶は様々な形で刻印されているのである。
例え一人の人を指す場合でも、人間という字には間という言葉が入っている。言葉の歴史的な経緯はさておき、集団で生き、言葉を使ってコミュニケーションし考える、人間の社会的な有り様を見事に捉えた言葉だと思う。個人の戦いなんてそもそも分が悪いのだ。
そんなことを考えながら今日は久々に1日音楽を聴いていた。
クリスマスに纏わる曲として、Paul Bradyという人のAuther McBrideという曲がある。伝統歌らしく歌詞が長めだが、メロディもギターも素晴らしく長さを感じさせない名曲である。1種のプロテストソングなのかもしれない。
そう、長く愛されてきたこの曲を聴くと、こんな俺でも「伝統」の中に反抗の歴史が連綿と続いてきたのを思い出すことができる。勇気が出る。人間は多様性を受け入れてくれるものでもあるからね。こうして俺の「リア充爆発しろ」には一層の自信が込められるのである。
皆さんが良いクリスマスを過ごしますように。(12/23)