映画「ハプニング」を見たという話

今日もねるねるねるねを自動でかき混ぜ続ける装置の動画を見たり、三角形を描くと精神年齢を判定してくれるアプリで精神年齢0歳と判定されたり(怒)、「怒られる時に気持ちよく怒られることができる上司はいい上司だ」という自分的名言を考えてノーベル経済学賞受賞の可能性を考察し悦に入ったり、相変わらずな生活を送っている。ポプテピピックのop最高。

コロナの影響で色んなことが自粛になっているが、こういう時人との繋がりが少ない自分は幸か不幸か大して影響を受けない(映画「ビューティフル・マインド」に倣って言うなら自分はスパイにうってつけの人間である)。

自分がしたことと言えば愛用のパブロンがヤバいというデマなのか本当の話なのかよく分からない説に踊らされてカコナールを買ったぐらいのものだ。それでも街でジョギングする心の友の皆さん(と私が呼んでいるだけの要は赤の他人)がジョギング中にマスクをしているのは流石にちょっと驚いた。

 

さて今日の本題、半月ほど前にたまたまM・ナイト・シャマランの「ハプニング」を観た。

当時はまだ今ほどコロナが騒がれていなかったのだが、観てからのコロナの流れはなんか結び付けないではいられない感じである。きっと今頃全国のレンタル屋で大ヒットしているに違いない、と思ったがなぜかトイレットペーパーの人気の1000億分の1くらいしか人気がない模様である。

でも、コロナの影響でSF映画なんかを想起した人は結構多いのではないかと思う。

映画のあらすじとしては、人類が特定の地域で突然自殺を始めるのだが、その原因が分からず、その地域が徐々に広がり、残された人々は追い詰められパニックに陥りながらも何とか生き延びとようとする、と言う話だと思う(多分)。

映画では、正直病気の広がり方も突発的で、その原因も分かるような分からないようなという感じで、作品の評価も若干(でもないか)芳しくないように見受けられる。ただ、自分は前々から、人類が滅亡するなら戦争なんかより謎の疫病かなんかがワッと広がる方が怖いと言う論を自分の周囲2mぐらいに撒き散らしているので、この奇想天外な映画にも妙な親近感を感じたものである。

 

もし自分がコロナにかかったらと考えると中々怖いところではあるが、何で怖いと感じるのかと考えると、身体的な苦痛や社会的な非難・孤立というのもあるが、やはり、タイミングがわからない中でいきなり不本意な形で死ななければならないというのが結構恐い。

そういうことを考えると、悔いのない人生を送りたいものである。

よく「親父は言葉でなく背中で語る」みたいなことを言うけれど、悔いのない人生というのが言葉とかイベントとか社会的成功とかそういう物差しでなく、自分の身体に染み付いててどんな時でも日々体現できているといいなあと思う。反省。

 

しかし、自分は映画を見る時にあまり話の整合性とか考えないで頭真っ白で観るので、この映画をシャマランがどういう意図を持って(あるいは持たないで)撮ったのかは不明である。

社会に警鐘を鳴らそうとかどのくらいあったんだろう。どっちかというとそれよりパンク魂の表出みたいなものの方に近い気もするが…。単純に人が首吊りまくってる絵面撮りたいだけとか。

早くコロナ収まるといいな。

 

さて、こんな世の中で自分は最近FeistとかJoni Mitchellとかばかり聴いているのだが、去年騒がれた時も含め今まで全然通過してこなかったFoalsの「Total Life Forever」の人懐っこさ(歌詞は全然そんなことなくてむしろ今って感じだけど)に今更ハマっているので、今日はその中から「Black Gold」を聴いて寝よう。